「病院」という現場に関わる多くの人たち 父の闘病に際し、病院に居る時間が長くなり医療関係者以外にも多くの人が病院に関わっていることを知ります。忘れないように書いています。1.入院病棟のお掃除の女性朝6時頃にはお見受けします。姿勢がよく本当にてきぱきと各部屋を掃除していきます。掃除機をかけ、ごみを回収、洗面台を拭いたりします。私たちのお世話になっている病棟は25ルームあります。次に入院患者さんが使用するお風呂は3か所。次々に掃除をしていきます。これが平日5日間は彼女の魔法のようなスムーズな手さばきでピカピカになり毎日気持ちよく過ごせます。2.入院病棟の備品の追加やリネン類交換など1.とは別のご担当者がいらっしゃいます。ペーパータオルなど補充してくれます。また入浴に参ります...31Aug2019介護勉強中父日記(下咽頭癌,永久気管孔)Pick UP!
「ありがとう」をいつ伝えるか 終末期の人に「ありがとう」をいつ伝えるか。父は病気になってから「延命は(手術をしたとしても)ない」とドクターに言われながら、過ごしてきました。でも悪い言葉は本人には聞こえていないようで、「治る」と信じての闘病姿勢はずっと変わらないものでした。だからこそ「ありがとう」はお別れの時の言葉のように思え、言わないままで共にいつも通り過ごしてきました。でも、いよいよという時期にきたかなと思います。 父が心肺停止から息をふきかえし、今日で5日目になりました。心臓が再び動き出した直後は、痙攣が1分に1-2度と絶え間なく、そのたびに目が「きっ」と見開き苦しそうでした。最初の夜は抗けいれん剤を2種、2度ずつ投与しましたが効き目があまりないまま翌朝を...07Aug2019介護勉強中父日記(下咽頭癌,永久気管孔)
一時帰宅、往路は救急車 父、緩和ケア病棟にはいり4度目の帰宅です。3時間の一時帰宅が2度で、1泊2日は先週と今回で2度になります。色々体にがっている中で、無理を言っての外出ですが、これが1度だけだとイベント感が強いよう思い、なるべく日常に感じさせたいと思いました。何度か出来る限り回数多く連れだしたいとの想いで断行。今回の外泊は2日目の正午頃にようやく促されるように父は目覚めました。薬がたくさん蓄積されているので、うとうとする時間がとても長い毎日に既になっておりました。起きてトイレに向かい、結果的にそこからリビングに歩いて戻ることが出来ませんでした。 真っ青になり口も閉じれず歯茎がべろんと見えた状態になりました。椅子からはずり落ち「これは救急車レベル」と電...05Aug2019父日記(下咽頭癌,永久気管孔)Pick UP!