春からのことです。緊急事態宣言発令の状況及び、個人的な体調や家族事情の関係で介護のお仕事を4月以降はお休みしておりました。7月に入り、どっちかに決めなければいけないと日々悩んでおりました。現場の所長からは「どっちでも(好きに決めて)よい」とのお返事もあり、今の現場については今日で一旦区切りといたしました。お世話になった皆さまありがとうございました。また利用者の皆さまにつきましては、お会いする機会が今後ないだろうと思いますが豊かな時間が流れることを願います。
2018年に父が「咽頭癌」をわずらい「声帯切除手術」を受けました。術後は声を失い、2019年9月に亡くなる最期まで障害者手帳を持つ暮らしをしておりました。失声はありましたが、前向きに最後の日まで命を全うした父を今でも誇らしくよく思い出します。不思議なもので、生きている時よりも近くに感じます。
私は父の病気をきっかけに、介護の資格を取得し現場に入り込み「入浴介助」等の経験を積ませていただきました。父の闘病の状況から「きっとこの後は(最期の日まで)ここを出れないだろう」と私自身が察し始めた頃です。父と「30分の入浴時間」を病棟で予約し、入浴の日は病室から浴室へばたばたと2人で移動、なんだかんだ言いながら父の入浴介助をするようになりました。母には私が介護の仕事に数カ月以上関わっていることを伝えていませんでした。「あなたが(風呂に)いれたの、てっきり看護師さんがいれると思っていたわ。よくこわくないわね」と当時言われました。父は管が何本か繋がっていたので、それを引っ張ったままの入浴でした。しかしながら前向きで何でも楽しめる性格の父とのそれは、私に不安を感じる余地を与えず、むしろ楽しい時間でした。
介護の現場に2年弱関ったことで働く人たちの大変さや、尊敬できる姿勢を目の当たりにしました。私の知りえたことなんて、ホントに長く従事されている方からしたら微々たるものだとは思いますが「全くやったことがない」というゼロ地点とは、大きく違うと思います。私のこのお仕事の時給は1,100円位。1年務めて10円程(今の職場の規定では)上がります。
介護の仕事はゼロにするわけではなく機会があればまた関わりたいと思います。介護を勉強したことで、食のお仕事の方でも新しい発見はありました。高齢者と何かしらの関りがあり、その結果として調理師免許をとりに来ている人が調理師学校には一定数いらっしゃることを知りました。「介護をする側の人を、元気にするための食を提供したい」「高齢者に食を通じた生きがいの場を提案したい(食提供や、調理を次の世代に教えることなど)」そういった高い志しのある学生の皆さまと、話をする機会が増えました。
先のことは分かりませんが、一旦区切りとさせていただいたことのご報告で書きました。日本人全員が(政治家先生も含めて)一度、介護を体験できる大人の義務教育は、あってもよいように感じています。「老い」は長生きすれば全員が必ず通る道だからです。
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