尾崎豊

 最近「尾崎豊」を聴いています。

 世代なので当時から聴いていましたが、その話題を友人や周りの人とした記憶がその頃ほとんどありません。それでも何枚かCDは部屋にありました。

 今日はデビューライブとなった18歳の時のライブ動画(@新宿ルイード(現在の新宿ルイードK4))を観ていました。ほとんどの有名な楽曲はこの時に出来上がっていたわけで「どんな15歳、16歳、17歳、18歳だったのか」「信じられない」等とみなさん感想を寄せています。YouTubeやInstagramのお陰さまで希少映像、歌声を何年経っても色褪せず観ることができます。

 一方「ライブ」の価値もさらにさらに見直されて「ライブで聴きたい」「ライブに行きたい」「やっぱりライブ」という声は(尾崎さんのファンだけでなく)沢山ネット上で目にします。新しい生活様式のなかでライブはどのように現実化されていくのでしょうか。

 さておき、デビューライブとなったこの日(当時尾崎さん18歳、高校中退後(在学していれば卒業年度)の3月)の【「シェリー」の中のメッセージ】を紹介したいと思います。

 反戦の歌を歌えとか なんか革命を起こすとか そんなどでかい事を言っても無理かもしれないけど なんか 些細なことを なんか些細なことを なんかいい加減にして過ごしていかないで もっと真っ直ぐな目を向けて

「なんか」が沢山ちりばめられた、隣の一人に話すような話し方は、飾らず優しくすーっと入ってきて良いです。

 学校行かないで歌うって、なかなか出来ないと思います。私が今の年齢になってもライフスタイルは色んなしがらみの中で形成され、そのしがらみを理由にまとまっているなと自分自身を振り返り、それでも健康で幸せなんだと言い聞かせているようなところがあるなと思います。

 尾崎はなんか(「なんか」を使ってみまして)「がなるようなイメージ」を持っている人も多いかもしれませんが、優しく静かに語りかけるシーンもたくさん見て欲しいなと思います。

 ちなみに尾崎さんの素晴らしい楽曲は沢山あり、超メジャー級も勿論沢山ありますが、私が最も好きな曲はおそらく「OH MY LITTLE GIRL」1983年(今から37年前)。詩に描かれているシーンがいつ聴いても映像で思い浮かぶような、そんな感じがあります。次に復帰後リリースした「太陽の破片」1988年(今から32年前)。歌がうまいだけでは絶対にこんな風に歌えあげられないと思います。魂のこもった楽曲って尾崎さんだけではなく、いくつかあるとは思いますが「太陽の破片」はその最高峰のひとつではないかと個人的には思います。沢山あり過ぎて多くを書けないですが、また、たまに「好きなこと」もシンプルに気負わず書きたいと思います。

≪ photo : 当時持っていたシングルCD 部屋の中をちょっと見たらすぐに出てきました ちゃんと有ったんだな… 嬉しい気持ち ≫

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