一時帰宅「足るを知る」

 咽頭癌(肺への多発転移あり、手術しても命そのものは延びないと最初から言われています)の父、昨年4月17日の声帯全摘出及び咽頭再建手術から約一年と少し経ちました。今年5月、吐き気が強く病院へ行ったところ「腸閉塞」との診断で入院となりました。すぐに出られると思ったのですが、以降出れないまま50日以上が病室で経過してしまいました。効かない中でも色々提案いただける抗がん剤は次から次へと全てトライしてきました。でも腸閉塞でそれもお休み、お休みしているうちに癌は増々大きくなりました。食事も腸閉塞が原因でお休み、結果として体重は50キロをきりました。ふらついちゃいけないと分かって頑張っていても、トイレなどでふらつく度に注意事項は増え、身体拘束は厳しくなりました。病院の指示は全て受け入れて後ろを向かず頑張ってきました(これは患者の気持ちです)が、帰宅できないまま時間だけが過ぎていきました。

 病院から勧められた「治療をあきらめ緩和ケア病棟に移ること」も決心しました。願いはひとつ「帰宅」にしぼって訴え続け、緩和ケア病棟に移って3日後に一時帰宅を実現させてもらいました。3時間だけの外出です。

 家族は父への「帰宅実現」の告知タイミングと言い方を、慎重に考えていました。結果的にはお医者さまからフライングで「帰宅できてよかったですね」と父に伝わりました。父は前夜まで「退院」と勘違いしており、少し可愛そうでした。でも、ゼロと1では大違いです。とりあえずではありますが、3時間だけの帰宅を果たしました。

 滞在時間が短いので「帰宅してどうしてもやりたいこと、気になっていることをやらせてあげなければ」と思っていました。この頃はモルヒネ投与など色んな要因があるとおもいますがほぼ一日中、もうろうとしている父です。それでも合い間で聞き、当日は少しでもスムーズに時間をつかいたいと思っていました。

 食事も飲み物も、今では全く喉をとおらず点滴だけになっています。それでも足踏みの練習、室内を歩いて外をながめたり、新聞を読み参議院選挙の投票先を検討したりと、生きることに前向きな父です。父の「元気になりたい」「早く元気になりたい」「前向きに」という文字を読まない日はないですが、読むたびに心が痛くなります。

 3時間の一時帰宅で「したいこと」をやっと聞き出せたのは当日の出発前でした。「実家のおいしい空気をせいいっぱいすってきます」と、ただそれだけでした。「足るを知る」とはこのことかと、ずっしりとくる文字でした。本人しか分からない癌の痛み、日に日に弱る自分と向き合い、何日も口から何も食べていない中でそんな言葉をいえる父。

 また次、一回でも多く帰宅できるように、また3時間が4時間になるように願い「さいごまでがんばろう」今はそれだけ、それ以外は無いなと思います。

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