一時帰宅、往路は救急車

 父、緩和ケア病棟にはいり4度目の帰宅です。3時間の一時帰宅が2度で、1泊2日は先週と今回で2度になります。色々体にがっている中で、無理を言っての外出ですが、これが1度だけだとイベント感が強いよう思い、なるべく日常に感じさせたいと思いました。何度か出来る限り回数多く連れだしたいとの想いで断行。今回の外泊は2日目の正午頃にようやく促されるように父は目覚めました。薬がたくさん蓄積されているので、うとうとする時間がとても長い毎日に既になっておりました。起きてトイレに向かい、結果的にそこからリビングに歩いて戻ることが出来ませんでした。

 真っ青になり口も閉じれず歯茎がべろんと見えた状態になりました。椅子からはずり落ち「これは救急車レベル」と電話をかけました。何年か前に母の件で救急車を呼んだ時よりは時間がかかったように感じました。到着したのは消防車で、消防隊員が心臓マッサージを始めました。その間に救急車から再度自宅に向かいながらの電話があり「救命を希望するか」問われました。人工呼吸器の装着のことだと理解し「それは無しで良い」と私は判断して答えました。程なく救急車が着き、心臓マッサージの途中で救急車に乗り込むことになりました。おそらく車中で4セット目くらいのマッサージの時、心臓が動き出したようです。救急車の中で真っ青というか真っ白だった唇がピンク色に戻ってきました。「救命を希望するか」再度車中で問われ、母が救命を希望。「変更ですね、分かりました。(入院中の緩和ケア病棟ではなく)他の病院に行く可能性があります。ご理解ください」とそこで告げられました。その後、緩和ケア病棟の担当医師から救急車に電話がかかり「母に代わってくれ」とのことでした。おそらく「うちに戻っていらしてはどうか」と話してくださって、結果的に緩和ケア病棟の本人の病室に戻りました。

 あとで振り返ると心臓が止まったと思われる時点から再度動き出すまで、15-20分かかったと思います。緩和ケア病棟に着いてからは、夜中ずっと痙攣(けいれん)を繰り返しました。抗けいれん剤を2種類2度ずつ座薬で入れましたが、朝まで効き目はありませんでした。一晩で1分も間を空けずに痙攣していたので、大変な体力を本人は使っただろうと思います。

 翌朝「意識は戻りません」と告げられ「この緩和ケア病棟で見守りましょう。今夜かもしれないし明日かもしれない。少し長くなるかもしれないが、患者さんの尊厳を守る形でここで見守りましょう」とドクターが話してくれました。翌朝は点滴の抗けいれん剤に切り替わりそれは効いたようです。苦しそうな様子から少し穏やかになりました。翌朝から点滴も、栄養無しの水分だけとなりました。病院から細かな説明はありませんでしたから自分で水分だけになる理由等は調べました。

 病院に戻って2日目の夜、父に話しかけました。私の言葉が届いていたように思います。「ありがとう」という言葉を、今まではお別れを告げるようであらためて言いませんでしたがこの夜は何度か伝えました。こらえながら泣いているようでした。また何枚かの写真を開きっぱなしの眼球の前に置き、沢山話しかけました。笑いながら泣いているようでした。

 3日目の今日の昼間は、昨夜よりも反応がうすかったように思います。夜型かもしれないので、今夜付く人(今夜は私以外の人が付いています)と、きっとお喋り盛り上がるでしょう。

國井直子official

広げる×広がる 人と食と好きなコト

0コメント

  • 1000 / 1000