新年明けまして半月が過ぎました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。昨年から今年に入り、1月16日(月)の大イベントが終わるまでは気が気でない毎日でした。ペンをとることも出来ずにいましたが、ようやく超えて完結。今、こちらを書いているところです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さかのぼること昨年(2022年)11月29日(火)はコンサートの予定でした。「お席ご用意されました」通知の受領から当日をひたすらに待ちました。しかし開催前々日にボーカル本人の体調不良で中止のお知らせ。会場変更を経て、完結したのが2023年1月16日(月)でした。
なぜこんなにも自分にとって大イベントになったかというと「母、同行」。今回は「松田聖子」はじめ昭和歌謡をラインナップした内容で、母世代がほとんど分かる楽曲ばかりの歌謡ショー。こんな機会はありません。LINEで母に声を掛け、24時間以上の間がありました。本人も考えたのだと思います。「行けるかしら」「大丈夫かしら」「うかないか(何を着ていくかも含め)」等々が予想され、そして「行きます」の返事が届きました。
①チケット申し込み(ファンクラブ枠は既に終り一般の二次募集(最終)で申込み)
※私自身は1人であればエレファントカシマシ待ちに徹し、ソロの歌謡ショーは遠慮も一案で考えていました。
②1回目のお席ご用意されました通知(11月12日(土)13:00)
※一般の二次募集枠、決して広き門ではなかったはずです。本当にヨカッタ。
③1回目の発券(11月26日(土)14:00)
わたしたちは前から19列目でした。わるくない感じです。いや素晴らしく良い方なのかもしれません。同じファン仲間の友人は、発券時に一緒に居ましたが前から2列目で大盛り上がりでした。
※5000人の国際フォーラム(有楽町)はアクセスも良く、又どの席でも「ある程度見える」会場。アリーナや武道館でなかったことは「母を誘おう」と思えた理由の大切な1つでした。
④中止通知(11月26日(土)夕刻(発券直後)でした)
「チケットは大事にお持ちください」と注意書きがありました。全額払い戻しの可能性があります。年内は既にどこも会場は空いていないだろうと諦めながらも、待つ時間に突入です。そして1回目については全て払戻しが決定。リスケジュールの有無が分からない中で、全員が自分の予定を「どの日にも入れづらい」という毎日が続きました。せめて「今週は無理です」とか「年内は無理です」等のお知らせが欲しいと思いながら、時間が過ぎていきました。
⑤再スケジュール決定通知(12月21日(水))
実に場所と時間が決まるまで、25日間待ちました。
■立地:「有楽町」からアクセス難の「有明」へ。
■日程:5000人の2フロアだて(×2日間開催)から8000人の4フロアだて(×1日開催)へ。
単純計算で一度は「席をご用意された人」の中から2000人が漏れることになります。それと同時に「生配信」が決定。
イメージしました。1月の寒い日に、日が暮れる時間頃に親を連れJRとゆりかもめを乗り継ぎ現地へ向かう(18時半開演)。トイレ問題、お腹空いた問題、トイレもカフェも満席問題、帰路の乗り継ぎ問題等々を想像しました。そしてそれ以上に天井席になることも考えられる状況、且つアリーナの一番後ろは天井席以上に避けたいという「席もんだい」。今迄の最高額12、000円(全席同額)という中での「席もんだい」はファン全員のもんだいです。「配信組にまわろうか」と悩みに悩みました。そもそもこの件、親しい友人が「お父様を連れていく」と話してくれたことが背景にあります。わたしの母よりもお父様の年齢は上で、娘さん談では「父はぎゅうほくらいのペースなので、どうなることやらなのだが『お父さんも浩次きいてみたいな』と言ったから」と。私もそれにおされ「(内容的に)今回しかない」と母に声を掛けたのです。その友人は「今回は残念ながらあきらめる」と有明になった時点で決められていました。1回目に「席をご用意された」人達だけが「有明に申し込める」という条件付き二回目の抽選、悩みに悩みました。でも「配信がある」と伝えたところで「配信」を説明するのも難しく、又有明までのネガティブな理由を多々並べなければなりません。
年の暮れが近づきリビングには新しいカレンダーが置かれ、1月16日(月)のところには母の直筆で「コンサート」と書かれていました(;'∀')
結局、一人で悩んで一人で決めました。申込みの最終日(1月4日(水))2名分の権利を行使、2枚分を入札しました。仕事先へ「ここだけは宮本浩次さんが元気でしたら出勤できません」と伝える等、準備を始めました。
⑥2回目のお席ご用意されました通知
とりあえずクリアです。でも次はいよいよ「席もんだい」。最高に悪かったら配信組の方が母も心地よいと感じてしまうだろう。これがつきまといます。「なぜだか、俺は祈ってゐた(2006年リリース♪エレファントカシマシ)」の気分。
⑦そしていよいよ発券の日、コンサート当日の2日前です。
ご本人が風邪をひいていないことは、この時点で幸いでした。それだけは決まり、あとはコンビニさまさまでした。ん-ーーーー最も避けたいのはアリーナ最後列、次に最上階の最後列です。皆さん同じ気持ちですが「今回だけは神様おねがい」で再び「なぜだか、俺は祈ってゐた(2006年リリース♪エレファントカシマシ)」。
いよいよチケットが手元に。アリーナAブロック4列。アリーナは何ブロックがあるのだろうと「アリーナ」の文字以外はよく分からないまま帰宅、ずっとずっと調べました。アリーナ以外の席は遠くなったとしても全席に段差があることを知っていましたから、アリーナの床がどれくらいフラットなのか、多少でもも高低差があるのかが気になりました。過去に(別の会場ですが)アリーナ後方で全く見えなかった経験があります。
結局はAブロックの前に1つブロックがあり全7列、アリーナAブロックの4列だったわたしたちはステージから11列目でした。物理的距離は(会場が広くなっているので)離れたかもしれませんが列数では国際フォーラムで引いた時より8つ前進。投げキッスがぎりぎりキャッチできる位置でした。「異邦人」を歌った時は一番近くまでいらしたと思います。目の前で歌いながらの連発投げキッスタイム、なんて器用なのでしょう。「ありがたう」しか言葉がないです。次はキッスの話ではなく、歌の方の話を書きたいと思います。続く…
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